はなの海外大冒険!

海外生活で体験したことや考えたことを綴るブログ♬フィジー留学、オーストラリアでのワーホリ経験を経て、セブのゲストハウスで管理人をしながらブログを書いていましたが、家庭の事情で急遽日本に帰国。これからは海外で学んだことをもとに、日本で考えたことを書いていきます。

海外から日本に帰ってきて、鈍ったスキル 〜○○力を高めるためにまた海外へ行きたい〜

優柔不断な自分に嫌気がさしている、はなです。

日本に帰って半年以上経って、フリーランスとしていろいろ仕事して毎日があっという間にすぎていきます。

最近欲しいものがあって、でもそれを買うことを決めるのになんだかすごく時間がかかる自分にイライラしてしまいました。

 

海外でワーホリしていたときの自分と今の自分。

いろいろ変わっているけど、変わったことの一つが「大切なことを決める機会が減った」ということです。

 

私は前回セブに滞在した3ヶ月で、自分のワーホリ体験談を3ヶ所でお話しました。

対象者や発表時間によって内容は変えていたのですが、必ず話したことはワーホリで何を学んだかということです。

ワーホリで学んだ3つのスキル

私が1年間のワーホリ生活で学んだのはこの3つのスキルです。

  • 英語力
  • コミュニケーション能力
  • 決断力

日本に帰ってきて、英語力は正直落ちたなと思うんですが、今回語りたいのが「決断力が鈍っている」という話です。

毎日何かを「決めて」いた、ワーホリ中のオーストラリア1人旅

私はオーストラリアでのワーホリ最後の2ヶ月半、1人旅をしました。

ブリスベンからタスマニアへ飛び、

11月 タスマニアのファーム

12月 タスマニアアデレードメルボルンシドニーへ移動

1月 シドニーの年越し花火を見て、年明けに帰国

この旅をしていたとき、めまぐるしく変わる景色を見ながら毎日様々なことを考えていました。

考えることの一つが、次の目的地。

 

いつ移動するか。

どの交通手段を使うか。

どこに泊まるか。

 

特に宿泊場所については、1週間に1度くらいの頻度で変わっていたので毎日ブッキングドットコムを見ていました。

はじめのうちは予約をするのにドキドキしていましたが、旅慣れてくると「まだキャンセル無料だしいっか」とさほど考えずに予約できるようになっていきました。

つまり、毎日「悩んで決める」ことをしていたため、決断することに慣れたのです。

1年間のワーホリで得たスキルの一つ「決断力」が今確実になくなっている…

日本に帰ってきて、同じ家で生活し、毎日同じような場所に行っています。それでも月に1〜2回くらいは新しい人と出会えるような場所に行ってますが。

で、決めることといえば、晩御飯のおかずとか、今日はなんの仕事をするかとか、そんなことしかないんですよ。

オーストラリアにいた時みたいに、

いつこの街を出ようかとか、

どの飛行機を予約しようかとか、

どこの観光地に行こうかとか、

そんな刺激がなくなってしまったんです。

 

毎日「決めない」生活を続けたことで、毎日同じでいることに慣れてしまったのです。

だから、何か思い切った行動をしようとしてもなかなか決断できない。

「決断力」を取り戻さないと時代に取り残される

日々世の中は目まぐるしく変わっていて、ツイッターやネットニュースを見れば毎日違う情報が発信されています。

見るのはいつでも誰でもできるけど、いざ「やろう!」って決断しないと何も変わらないんですよね。

 

知っているだけじゃ、知らないことと変わらない。

行動しないと、知ってる意味がない。

やっぱり一つの場所に止まるのは、私にとってはよくないのかもしれない

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海外生活って、英語力を高めたり、海外の文化を学ぶだけじゃないんですよ。

自分と向き合えます。

特に1人で行動した場合。

自分のダメなところに失望したり、ピンチになったときの自分の行動から新たな一面を発見したり、日本で毎日同じような生活をしていたら味わえない刺激が海外にはあるんです。

まあ、海外に行かなくても、環境を変えればいいんですが、日本にいると環境を変えるって難しいので、そしたら飛行機で国境を飛び出してみたほうがいいんじゃないかって話です。

 

なので、やろうと考えてるだけじゃなくて、ちゃんとやることを「決めて」「自分から行動」しなきゃダメですよね。

 

欲しかったあれ、買ってみようかな。

おしまい。

はてなブロガー「かんどーさん」と交換寄稿をしました!テーマは「看護師時代に印象深かった患者さん」

昨日は、セブで知り合った友人であるかんどーさんの記事を公開しました、はな@福岡〜鹿児島 (@hana8787hanae) です。

 

他の人のブログに寄稿するという体験は初めてだったのですが、寄稿してくださる相手の読者層を考え、どんな記事を書くかを考えるのは、難しくもあり楽しくもありました。

私は看護師時代のことについて寄稿

「交換寄稿」ということで、私がリクエストされたテーマは看護師時代の話。

今まで出会った患者さんで1番思い出に残った人のことを書いてと意外なテーマを設定されました。

ちょっとビビりましたが、思い出に残る患者さんは数人いるものでその中で印象に残った人と、その人を取り巻く医療者について長々と書いてみました。

看護師の仕事だけじゃなく、仕事って、お客さんの目に見えない部分のほうが大きいんですよね。看護師のそういう大変さ、そしてやりがいについて、医療者以外の人にも知ってほしくて人のブログに書いてみました。

誰かの役に立つといいなあ。

www.kandosaori.com

看護師の仕事って大変だよね

看護師の仕事って、人の命に関わるし、お局さんが怖いし、夜勤あって生活リズムが不規則だし大変です。

でも、思い出すと大変だったことの隙間に、やっぱり患者さんに感謝されたこととかも思い浮かぶんですよね。

今はフリーランス的働き方に興味があるのですが、そのうち看護師に戻っても楽しいのかなって考えてます。

看護師✖️フリーランス的生き方を発信している私のもう一つのブログ

このはてなブログは2017年の夏前後に毎日更新していて、今はあまり書いてません。しかし、来年またセブに行ったら海外ネタを更新しようかなと考えてます。

一方、看護師✖️フリーランス的生き方を書いていきたいのはこちらのブログ。

hanaeblog.com

まだまだこっちのブログより記事は少ないですが、これから増やしていきたいです。

これから書きたい看護師ネタ

今の私に書けそうな看護師ネタを一気にまとめました。

  • 私が看護師になった理由
  • 看護師になるには大学(看護大学)卒と専門学校(看護学校)卒、どっちがいいの?
  • 私が看護師を辞めた表面上の理由と3つの本音
  • 看護師が退職願を出すとき、師長や先輩から言われること
  • あのときICU看護師だった私は「うつ病」だったのかもしれない…若い女性に多い「新型うつ病」の症状とその乗り越え方
  • 仕事で病んでる看護師のあなたにすすめたい、◯つのリフレッシュ法
  • ICUに配属された新人看護師の悩み◯選
  • ICUで出会った患者を思い出して振り返る、理想の死に方
  • ICUで出会った自殺(自殺未遂含む)患者 〜人って意外と弱いのかもしれない〜
  • 看護師免許ってこんなにすごい!看護師国家試験に合格してよかった◯つのこと
  • いつか「患者」になるあなたへ。看護師に好かれる患者になるための〜ケ条
  • 派遣看護師って知ってる? ワーホリ・留学前後の看護師へ超絶おすすめの自由で稼げる働き方
  • 派遣看護師でよくある健康診断ナースの仕事って?
  • 看護師なら1度はやってみたい!派遣看護師でできる、ツアーナースってどんな仕事?
  • 派遣看護師の仕事で多い訪問入浴とは?(リライト)

けっこうネタあるな!意外と書けそう。

読者のみなさんはどれが読みたいですか?

そして、看護職として働く人へのインタビュー企画もやりたい。

ブログ頑張ります!

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半年ほど前から始めた語学学校のライティングの仕事で、日本語力がかなり鍛えられたなーと実感しています。

その力を生かし、今度は自分のブログにも力を入れていきたいです。

いつのまにか1,000字超えてしまった。やっぱり書くのって楽しいな。

頑張るぞ。

寄稿:他にすることがなかったから起業して、海外で屋台を始めた。そして今……

セブから日本に本格的に帰ってきて半年以上が経ちました、はなです。

私は3回合計9ヶ月セブにいる間にたくさんの知り合いができたのですが、その素敵な知り合いの1人がかんどーさんです。

今回、かんどーさんと交換寄稿をするという面白い企画を行いました。

交換寄稿とは、私はかんどーさんのブログサイトへ寄稿し、かんどーさんには私のブログに載せる記事を書いていただくというもの。

 

海外で起業したかんどーさんは、私が書けないたくさんのネタをお持ちでした。

ぜひお読みください^^

 

 

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はなさんのブログをお読みのみなさま、こんにちは。

はてなでブログを3年間毎日更新しています、かんどーと申します。(本名は貫洞沙織です)

はなさんとはセブでなんとなく知り合って、福岡でなんとなく再会しました。お互いまた会えることがわかっていたみたいな、自然な再会でした。(そう思っているのは私だけかもしれませんが・笑)


今回、はなさんのブログに寄稿させていただくことになり、テーマは「起業、新しいことに取り組むことについて」となりました。

私、新しいことにチャレンジしていないと死ぬ病なんです。今回は、そんな病におかされている私の起業物語と、海外(フィリピン)で屋台を始めた話と、これから始めるNPO法人について書きたいと思います。

 

  

私が起業したきっかけ

20代の頃。私は何をやってもうまくいかず、友達もおらず、どこにいっても居場所がありませんでした。中途半端な地方都市に住んでいたため、バーもいきつけがないと行きにくいし、カフェでさえおしゃれなお店は友達が働いているとかじゃないと行きにくい感じがありました。無駄に発展はしていたので、東京から「ほったらかしてくれる感」を引いた感じの街でした。住んでいる人の満足度は高かったらしいですが、友達のいない私にとっては寂しさしかありませんでした。

 

当時、もちろん彼氏なんていませんでした。女しかできない仕事をして寂しさを埋めていました。お金も稼げるし良い仕事だったと今でも思っています。私はあの仕事を真剣にやったし、後悔も隠す気持ちもまったく無いんです。人を気持ちよくする仕事って素敵じゃないですか? 私の中でエステティシャンもあの仕事も変わらないんですよね。どっちも素敵な仕事!

その仕事をやめた後は普通に、工場やコンビニや飲食店で働いていたのですが、やっぱり友達がいませんでした。行きつけのバーがないから一人で家で隠れるようにしてお酒を飲んでいました。アルコール依存症になり、過食症と拒食症と会食恐怖症になっちゃいました。テヘ←そこそこ大ごとになりましたw

 

友達がいないから、ちょっとしたきっかけでライブなどに誘われても一緒に行ける人がおらず断念しました。本当に生きているのがつらかったです。

そんな私、20代後半にして趣味をすべて手放しました。音楽も、絵も、ゲーム好きな自分もぜんぶ捨てました。そうしたら何も手元に残らなかった。完全に死ぬ準備に入っていました。そこで思いついたのが「危険なことでもなんでも、私は死ぬつもりなんだから出来る」ということでした。そして青年海外協力隊に応募し、インドネシアに短期ボランティアに行ってきました。

活動はとても楽しかった。危険なことなど何一つなかったです。そしてインドネシアから戻ってきて、なにもない日本の自宅アパートでぽつんと座り「何もすることがないや……」とつぶやきました。インドネシアではたくさんの子どもたちが私にまとわりついてきたり、時に貧しさを感じさせる一言を言ったりして、毎日何かしら考えさせられる日々だったのです。そして周りに常に人がいました。人嫌いのくせに、人が周りにいるあの環境が好きでもあった。日本の一人暮らしのアパートに戻ってきて、私は寂しさと虚無で涙も出ませんでした。


私はすることがなさすぎて死にそうだったのです。目先のお金のために月給手取り30万を超える携帯ショップでの販売の仕事を派遣で始めました。その仕事が自分にとても向いており、人よりできることがわかり、その仕事でそのまま起業しました。私と、販売がものすごくできる人と、経理ができる人の三人で起業しました。

 

起業して順調なのに挫折したきっかけは「人殺し」と言われたこと

起業して最初の二年がドタバタと過ぎ、お金が底をつきそうになるとみんなでバイトをしてでも食いつなぎ、四年目くらいから軌道に乗り始めました。毎月きちんと売り上げが入ってきて、スタッフに給与を支払えていました。(給与が高い会社であり続けたかったので、運営はとても大変でした)

しかし軌道に乗った状態で、今度は販売の現場が私を蝕みました。私は「自分が現場に出ないのに口だけ出す経営者」になりたくなかったので、現場に出続けていたんです。

私が出ていた現場は携帯ショップの接客業です。理不尽なクレームを受けても薄笑いを浮かべたりなだめたりすかしたりしながらやり過ごしているうちに、私は心が壊れてしまいました。

具体的には、あるクレームで私は「お前は人殺しだ!!」と言われました。待ち時間の間に体調が悪くなった同行者が流産した、と言われたのです。「お前が妊婦に対する気配りをしなかったせいで人が一人死んだ!」その時私の頭の中では「診断書は?」でした。絶対に有り得ないと思ったのです。

私は接客業それなりに長いですし、待っているお客様への気遣いは当然していました。まさか具合の悪そうなお客様に何もしないはずがない……そう自分に自信があったのです。

しかし、診断書をくださいと言うより先に謝罪しろと言われました。私は納得がいきませんでした。私は殺人をおかしましたすみませんと謝らなければならなかったのです。


この時私の心の中にまだ神様はいませんでした。

だからこの時私は、自分の心を自分で破壊しました。このことを二度と思い出さなくて済むように。明日からこのことを忘れてまた接客ができるように。だからこの出来事について謝罪した時の記憶もなければ、どんな人だったのかもよく覚えていないのです。「忘れろ」という強い脳からの指令により忘れたのでしょう。あれが冬だったか夏だったかも忘れました。

結果、うまく忘れることはできたのですが、その後食事がまったく喉を通らなくなりました。食べてもすぐに吐いてしまう。おかゆも受け付けなくなったとき、私は点滴通いをするようになりました。携帯ショップの仕事に行ってストレスフルな仕事をして、帰りに総合病院に駆け込んで点滴を打ってもらうのです。移動中も吐き気がしたらビニールに吐く。このころは何も食べていなかったので少しの胃液が出るだけなので、移動くらいならできました。少量ならティッシュに吐き出すくらいですみましたし。

声は毎日枯れていました。胃液でのどがやられていました。お客さんから「あなた口が臭い!」と言われました。担当の美容師さんからも「胃が悪いんじゃない……?」と言われました。

私は「人間が嫌いだな」と思うようになりました。誰の事も好きになることはできない、なぜならどの人間も一皮むけば鬼だと思っていたからです。
 

自殺するために海外へ行くようになった

私は壊れた心を修復することができず、タイに死にに行くことにしました。
何を食べてもおいしくないし、何もしたいと思えない。現場の無い時間は横になって吐いてるだけ。もう死ぬしかないと思ったのです。

しかしタイでは死にきれず、フィンランドにも行ってみましたがやっぱり死にきれず(旅が楽しかったんですよ……)、結局私は、接客業を続けながら騙し騙し2週間程度のバカンスを取っている、という状態をしばらく続けたのです。

しかし私の一人旅は不評でした。誰に話しても誰もいい顔をしません。

「英語も話せないのに海外行って楽しいの?笑」
「女の子一人じゃあの場所は危険だって! やめなさいよそんなこと」
「誰か友達を連れてきなよ、英語話せる人! 一人旅はあなたに無理だって!」

全部無視しました。だって死にに行くのですから、突発的な事故で死んでも何の後悔もないわけです。ただしつらすぎる死に方は嫌なので、自分なりに強盗の出そうな場所を避けたり朝方の行動に切り替えて夜は外を歩かないように徹底しました。

この時私は英語ができませんでしたから、現地語(タイならタイ語フィンランドならフィンランド語です)を数字と簡単な挨拶だけ覚えて行っていました。深いコミュニケーションは取れませんでしたが、ちょっと街歩きをするくらいなら問題なかったです。地名を連呼していればその場所に着く、という謎の法則を見つけました。


旅を続けるうちに、欲が出てきました。出会った人ともう少し意思疎通がはかれたら楽しいのに……ということです。自力で英語の勉強をしましたがどうもうまくいきませんでした。自分を信じられなかったから。

私は当時、自分が海外で仕事をするなんて信じられなかったし、実はこのとき海外で仕事をしたいと思い何人かに相談もしていました。しかしその返事は、

「あなたの学歴と英語力で海外で仕事!?笑い 無理無理!! 一生無理!」
「おとなしく日本で仕事しててくださいよ……」
「そもそも日本出る必要ないでしょ」

というものでした。誰も応援してくれなかったです。ただこれは良い意味合いでもありました。日本で一緒に仕事をしている仲間や取引先の方々が「一緒に日本で仕事を続けようよ」という意味で言ってくれていたのもあるからです。

だけどこの時の私はそれがわかっていてもなお、海外へ出たかった。海外で働くってどんな感じなのか、やってみたかった。英語ですべて交渉して買い物して同僚と仕事の話をして……。そんな毎日に身を置きたかった。

 

チャンスは突然「ブロガー無料留学ご招待」に受かった

私はブログを毎日書いています。2017年の3月、私のブログは月間20万PVほどありました。私はたまたま「ブロガー必見! 月間PV10万以上のブロガーをセブ島に無料で留学ご招待!」という情報がたまたま目に入り、応募したら即採用の返事が来て、私は1か月半フィリピン、セブ島に留学に行くことになりました。(これもかなり反対されましたが押し切って行きました)

1か月半の留学では、多少話せるようになりましたが「旅行で困らないかなあ」くらいのレベルでした。友達ができるレベルではありません。

もっと話したい、実務をしながら経験を積みたい……その思いは日に日に強くなり、私はセブの思い出を整理しながら、私が食い込めるビジネスはどこかと必死で考えていました。

そして、見つけました。

 

セブ島で一人、屋台を出す!

私は留学中、ある屋台村に何度か行きました。いろんな国の料理が集まっていて、そこそこ味も美味しいお店が多い。屋外フードコートのような感じです。夜しかやっていないけど、生演奏もあってお店の数も50店舗くらいあって広々したテーブルがたくさんあって楽しい。

「あそこに自分でお店を出したらどうだろうか……」

そう思い立ち、約半年かけて計画、情報収集し、屋台をオープンさせました。一番右の顔半分写ってるのが私です。あとはフィリピン人スタッフ! みんな個性豊か。日本人は私だけです。

 

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この屋台も紆余曲折ありました。当初の予定とは少し変わっていますが、結論から言うと「毎日がものすごく充実」しています。毎日とてもたくさんの英語を使います。朝の買い出し、午後の仕込み、夜の営業中のスタッフとのコミュニケーション。近隣屋台の方々との交流。とにかく毎日たくさん英語を話します。

この屋台は今、資金的にギリギリ回る状態まで持ってこられました。スタッフに給料を払って、材料を買って、私が現地でアパートを借りて暮らしていくことができる状態です。ここまで来る道のりは長かったです。。最初の3か月が経営的にきつかったです。6月後半から一気に巻き返し、7月から黒字にしました。

 

今はNPO法人設立準備中! きっかけは屋台だった

屋台は少しだけ順調になってきました。そして私、日本の会社経営もやめていません。1か月~2か月に1度日本に戻って会社の用事をこなしています。二足のわらじです。でも毎日がすごく充実しています。

こんな毎日の中で、私はあることに気づきました。フィリピンの大学進学率についてです。先進国は70%台の大学進学率なのに比べて、フィリピンの大学進学率は30%台です。屋台で働いてくれているスタッフの中には学生もおり、彼女たちは大学に行くか働くかの答えを出すことになります。ウチの屋台にいるスタッフはわりと真面目な子が多く、何らかの職業に就くことを希望し、そのために大学進学を志している子が多いのですが、中に金銭的な問題で進学が難しいという子がいました。

彼女はいつもそのことで悩んでいるようでした。私は最初はあまり口をはさまなかったのですが、ある日思い立って彼女を呼び出し、話をしました。

・具体的にいくら足りなくて大学進学を躊躇しているのか
・あなたの成績はどのくらいで、どの大学に行けそうなのか
奨学金をもらうことは可能か

いろいろ聞いていくと、彼女はとても成績優秀で、お金もテキスト代と制服代(フィリピンは大学も制服があります)、あとは大学に通う際の寮費くらいで大丈夫だと言います。もちろんほかに必要なお金はあるのですが、取り急ぎはこれだけで大丈夫だと。

早速、学校の先生に進学の意志を伝えてもらうと「優秀な成績だから大学の入試無しで入れるかもしれない」「奨学金ももらえるだろう」という返事をもらいました。このあたりはどの程度の成績だとどういう風になるのか、もっと調べていきますが、彼女のケースに限っては上記のような状況であり、支援すべき金額も見えてきました。

私は正式に、NPO法人を設立することを決めました。

私は彼女一人だけを特別扱いするつもりはありません。これからたくさんの「大学に行きたいけれどちょっとした問題があって行けない」という若者に対し、問題の整理と必要に応じた金額の支援を行っていきます。彼女はその最初の一人になってもらいます。私は彼女からいろいろ学ばせてもらいたいのです。だから支援も受け取ってほしいと伝えました。

しばらくは彼女と二人三脚でNPOの骨組みを作っていきます。そして来年の春、正式にNPO法人が立ち上がった際は、毎年たくさんの若者を大学へ進学支援していきたいと考えています。

なぜ大学進学支援のNPOなのか?

なぜ私が設立するNPOが「大学進学支援」にこだわるのか。それは「教育が人を作る」というのが私の考え方の根底にあるからです。

一人の物乞いの子どもに食べ物を与えても、翌日にはまたお腹がすきます。ワクチンを打って生きることができるようにしても、結局物乞いになるのでは1つの命を救って1しか救われないのです。私が生きている間に世界が変わってくれない。わがままかもしれませんが、私は「掛け算」で人を救える方法を考えたかったのです。そして行きついた答えが「大学への就学支援」です。


もしも一人の学生に就学支援を行い、たとえば医師を一人つくることができたら……その医師がこれから救う命がたくさんあり、その医師の家族が豊かになる。幸せが掛け算になるのです。私はこの掛け算に賭けたい。

どうなるかなんてやってみないとわからない。これまでもずっとそうだった。起業だってやけっぱちで始めたし、死にたかったから海外旅行に行っていたし、日本で接客業をしていても昨日と同じ今日が始まるだけなのが嫌になって海外で仕事をすることに決めた。


私は止まりたくない。

これからもずっと、常に変化しながら、私の人生で救える人の数を最大に出来る方法を模索したい。NPO法人は人生賭けて本気で取り組みたい一大仕事です。

これからどうなるかなんてわからないけど、今日も明日も、きっと私が動くことで誰かが救われる……そう信じてやっていくだけだと思っています。同時進行でフィリピンの方々が日本で働く会社も今つくっています。両方うまくいってくれたらいいけど。どうなるかはやってみないとわかりませんが、日々勉強しながら二つの法人起業を頑張って行きたいと思います。


私のこれまでの人生と、今していることをそのまま書きました。
長文を読んで頂き、ありがとうございました。

私のブログはこちらです。一番お気に入りの記事を貼っておきましたので、よろしければどうぞ。

おじいさんにも性欲はあった話 - 接客業はつらいよ! 人生はチキンレース! あけすけビッチかんどー日記!



はなさん、今回は貴重な機会をありがとう! また福岡で会おうね!

 

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かんどーさん、素敵な記事を書いてくれてありがとうございました!

大変なことを乗り越えながら海外で力強く生きているかんどーさんからは、力強いパッションしか感じられません!

次にセブに行ったら、絶対かんどーさんの屋台でご飯を食べます^^

今回は福岡で会いましたが、セブでお話をできるのが楽しみです。

2年以上海外へ滞在していた私が感じている、日本の四季の素晴らしさ

 長くブログを更新していなかった、はなです!

 

前回、フリーランスになってからのことを書きましたが、夏休み期間中はライター以外の仕事でてんやわんやしており、自分のブログどころではありませんでした。

 

私は、2015年の9月から2017年8月まで、約2年間海外で過ごしていました(一時帰国も含める)。その後ちょっと日本に滞在して、さらに3ヶ月フィリピンのセブで過ごし、長い期間日本を離れていたわけです。

 

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そんな私が感じた日本の素晴らしさは、四季があること、それによってさまざまな楽しみがあることです。

今年3月に帰国して早半年。実は半年間連続で日本に滞在するのは、私にとっては3年ぶりです!日本にいたら当たり前すぎて感じなかったであろうことを今ひしひしと感じています。

忘れないようにここに書いておきます。

(ブログというより日記です。役立ちはしないので、軽い気持ちで読んでください)

 

私の海外生活 2年間+αの軌跡

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私が滞在していた場所、季節はこちらです。

  • 2015年9月〜2016年1月 フィジー(夏)
  • 2016年1月〜4月 オーストラリアのパース(夏)
  • 4月〜5月 西オーストラリア旅行(夏)
  • 6月 日本へ一時帰国 1ヶ月(初夏)
  • 7月〜10月 オーストラリアへ ブリスベン(冬〜春先)
  • 11月 オーストラリア タスマニア(冬)
  • 12月 南オーストラリア→シドニー旅(冬→夏)
  • 2017年1月 日本へ一時帰国 10日間(冬)
  • 1月〜3月 フィリピンセブ(夏)
  • 4月〜5月 日本へ一時帰国 1ヶ月(春)
  • 5月〜8月 セブ(夏)
  • 8月〜12月 日本へ帰国 4ヶ月(夏→秋→冬)
  • 1月〜3月 セブ(夏)
  • 3月〜 日本へ

  

私は寒いのが苦手なので、冬に日本に滞在することを避けてきました。最初に日本を離れていた9ヶ月は、日本の夏である期間を含めると1年間ほぼ夏!

 

旅行中は、ウルトラライトダウンを着ないと死んでしまいそうな寒さも体験しましたが、365日中300日くらい夏!

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滞在した3ヶ国で見られた、私が好きな花「プルメリア

夏が1年間続くと、こうなりました。

  • 毎日半袖→夏服だけ用意すればよいので、すごく楽。
    でもちょっとブーツが恋しくなる
  • ずっと夏の花が咲いている→気持ちが明るくなる。
    けど、それ以外の花も見たい(桜を見られなかったのが寂しかった)
  • 開放感のある野外で食事をするのが楽しい
    けど、フェイスブックで友達がコタツに入りながら鍋パーティーの写真を見て、やけに冬が恋しくなる。

 

冬は嫌いですが、毎日暑いのもしんどかったです。余談ですが、フィジーサマータイムが始まり1日の生活がすべて1時間早まったとき、毎日夏バテで食欲が落ちました(11月。夏が続きすぎてしんどかったのかも)。

日本に半年間滞在して思うこと

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太宰府天満宮(福岡)

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。

日本にいたら本当に当たり前なのですが、世界の半分以上はこんなに四季が分かれていないんじゃないかと思います(推測です)。

 

3年ぶりに長期間連続して日本に滞在した今年は、四季の移り変わりを全身で感じています。

 

春は桜を見に行く

スーパーには桜餅が並んでいる

春っぽい色の服(名前が思い浮かばない、、、)を着る

 

夏は海に行きたくなる

ナスやトマト、きゅうりなどの夏野菜が安い!

毎日半袖を着ても汗が止まらない

 

秋は急に涼しくなり、日向ぼっこに最適な時期

ナシやぶどうが美味しい時期。大根や白菜が安くなり始める。

ちょっとダークな色合いの服を着る

 

これからは紅葉の季節!そして鍋が食べたくなるシーズン!

楽しみですね。

 

7月はじめ、大雨の翌日、朝から元気よくセミが鳴いていたのを聞いて、夏の到来を感じました。

 

9月のはじまりは、それまでの暑さがウソだったかのように涼しくなり、心地よさと寂しさを同時に感じました。

 

3年間、日本の冬を過ごしていない私の悩み

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セブ島のアイランドホッピングで見た海

去年も思ったのですが、私のクローゼットは7割夏服です。

前回冬にまるまる滞在していたのは4年前なので、20代のときの可愛らしい服しか持っていません。

どんな服を買えばいいのか分かりません。誰か教えてください。

ブーツも古いものしかないのですが、欲しい気持ちにならず困っています。

 

今年の冬も暑いところで過ごしたいです

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私が目指すのは「場所にとらわれない生活」

行きたいときに好きなところに行き、それでも生活できるだけの収入を得たいと思っています。

今後、家庭ができると難しいかもしれませんが、できる範囲で実現していきたいです!

 

半年日本にいながら、海外にいる人と連絡をとって仕事をしていると「私もどこか行きたい欲」が湧いてきて仕方がありません。

なので、また年明けくらいからセブに行けたらと思っています。

今度は「留学」や「バカンス」ではなく、「仕事」という名目で!

日本を離れても稼げるようにがんばるぞー!

 

 余談!
3年連続海外で年越しした私の感想は、こちらのブログで。

hanaeblog.com

10万円稼ぐには?このブログをはじめて1年で私が変わったこと

お久しぶりです。

フリーランスになりました、はなです☺️✨

 

はてなブログを開設してから約1年。

ブログをはじめたことで世界が広がりはじめ、今は主に2つのライティングの仕事とそのほかの細かい仕事でどうにか生きてます😊✨

1年前は、こんな働き方をしていることは想像つきませんでした。

まだ昔の看護師初任給は稼げていませんが、今後ちゃんと仕事をゲットして着実にこなしていけば、近々夜勤なしの基本給くらいは稼げるんじゃないかと思ってます!

 

1年前、私の10万円の稼ぎ方はこうだった

はじめてセブに行き留学し、そのあと2回目の渡航までの時間は1ヶ月半。
私はその間、セブの生活費の一部である10万円を稼ぐことにしました。

「お金を稼ぐ=どこか行って時給で働く」

当時頭にあったのはこの方程式。

地元でどうにか稼げる方法がないか考えたところ、学生時代のバイト先が頭に浮かびました。


それは、

結婚式や宴会場のウエイトレス😊

学生時代に5年近く籍を置いていたこともあり(編入したので計5年)、連絡した翌日に面接、その2日後から働くことができました。

しかも、社員さんたちは私のことを覚えていてくれたので、
「新人は時給850円スタートだけど、はなちゃんは前の経験があるから900円スタートにしておくねー」とよい待遇をしてもらえました^ ^

(鹿児島では悪くない給料、夜は25%アップ)

そこで合計何日働いたかは忘れましたが、1ヶ月で目標の10万円かせぐことができました!


稼げたのはよかったですが、実はこの仕事、結構きついんです…

 

・朝が早い
・人の結婚式なので気を遣う
・式前後の準備と後片付けで体力を奪われる
・ヒールを履かなきゃいけないので疲れる
・年下の社員さんに遣われる

それでも去年はこれ以外に稼ぐ方法を知らなかったので頑張りました☺️✨

  

1年経って私が10万円を稼ぐ方法はこう変わった

1年経った今は、ライティングやほかの仕事でなんとか10万円稼げそうです。

仕事をする場所は、パソコンとネット環境があればどこでも。
時間は、特に指定なし。


あのバイトの後にセブに行き、毎日ブログを書きながら「フリーランス」といつ働き方があることを知りました。

ランサーズやクラウドワークスの、割に合わない単価の仕事に片っ端からチャレンジする一方で、運良く通っていた語学学校からライティングの仕事をもらいました。

 

「やってる仕事は小さくても、

全て実績にすればいい」

 

どこで調べたか、誰が教えてくれたから覚えてはいませんが、その言葉を信じてコツコツパソコンと向き合う日々…

 

1年前はパソコンを買ったばかりで電源の入れ方さえも他の人に聞いていたのに、


ワードプレスなんて言葉も知らなかったのに、

 

今はちゃんと記事を書いて、基本的な編集することで報酬をいただける!

給料だけ見ると大したことないけど、すごく進歩したと思います。

 

1年前のウエイトレスの仕事と今のフリーランスの働き方で違うところ

 

・時給は自分次第
時給というより単価(1記事〜円)で働いてるので、努力次第で時給が変わるという考え方ができます。

例えば1記事3000円の記事に3時間かかれば時給1000円だけど、1時間で完成させれば時給3000円!

 

・働く相手、仕事内容を選べる
今、ライティングに加えていくつか仕事をしていますが、その方との人間関係で悩んだことは一度もありません。

 

・時間と場所に左右されない
パソコンとネット環境があればどこでも働けます!
これが一番のメリット☺️✨
実家に帰っても、旅先でもパソコン開けば仕事できるてすごくないですか??

 

 

今もフィリピンセブにいる人とやりとりをしますが、ネットですぐ連絡を取れるのでまるで会っているような感覚。

話す必要があればスカイプや電話をすれば一発で解決です。

 
これからは場所にとらわれず働きたい 

私が、ライターで食べていきたい!と本気で決意したのは最近です。

ちゃんとした体制はまだ出来上がってないのですが、ゆくゆくは好きなときに好きなところに行ける人生を目指したいです✨

結婚したりすれば難しいかもしれませんが…

周りに刺激的な人がたくさんいるので頑張ります!

 

 


ちなみに、このはてなブログは12月の「ワードプレスに移行しました」の記事を最後に今まで放置していました。

にもかかわらず、今でも1500PVあります😊

 

少ない!て思われた人もいると思いますが、私はびっくりしてます。
検索でヒットする記事があるようです!🌺

せっかく読まれているので、ときどきここでも呟こうと思います^ ^
SEOは全く考えずゆるーく更新していきます!


ガチで書いてるブログはこちらです。
はなブロ
https://hanaeblog.com/

英語学習、留学やワーホリ、看護師ネタについて書いてます^ ^

ワードプレスに移行しました!

先週から再びセブに来ている、はなです。

 

2ヶ月ほど前に、こちらのブログサイトからワードプレスでの新しいブログへ移行しました。

hanaeblog.com

 

新しいブログの大きなキーワードは、

「海外経験」

「元ナース」

「ライティング」

の3つ。

 

セブについて書いた記事はこのブログにそのまま残し、

新しいブログサイトには、

  • アラサー女性の生き方
  • 看護師としての経験
  • はなの本当のオススメ
  • 国内海外のオススメ観光地
  • ライティング仕事募集

などの記事を書いて行く予定です。

 

こちらのブログ記事を全て新しいブログしたらすごくごちゃごちゃしてしまってなかなか整理できなかったのですが、

ウェブサイトの運営に詳しい友人に教えてもらってかなりシンプルに整理しました。

これで新しいブログをしっかり育てて行きたいと思います!!

海外を2年もフラフラしていた私は、ついに日本でナース再デビューを果たしました☆

今日から看護師としてデビューしました、はなです^^

 

ワードプレス移行を考えてからブログネタを思いついては「次のブログに書けばいっか」と自分を甘やかしつづけており、結局何も進んでいません。

が、今日の記事は今絶対書いておかなければいけないと思ったので、書きます。

だって今日は私の30歳最終日なのですから…

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 医療職者として2年4ヶ月ぶりに働く心境

タイトルに「ナース」と書いてはみましたが、今日のボジションは介護士でした。

なぜなら、いきなり看護師という責任あるポジションはハードルが高いと思ったから。

医療の専門知識は忘れているし、高齢者や医療スタッフとのコミュニケーションについてもうまくいく自信がありませんでした。

そもそも、海外でゆるーい生活を約2年間もしていた私は、日本の社会の中で1人のスタッフとして働けるのかと不安が大きかったです。

ですので、今回は「医療処置のないポジションで」と派遣会社の方にお願いして、施設のデイサービスで介護士さんと働かせていただきました。

 

とはいえ久しぶりすぎたし、初めての土地だし、知っている人はいないし、不安だらけで夜は眠れませんでした。。。

 

ミッションは「高齢者をひたすらお風呂に入れる」こと!

派遣先の施設に行くと、「今日のあなたの仕事は入浴介助ね」と言われました。

デイサービスに来た利用者さんをひたすらお風呂に入れるこの仕事、すっごく体力を使います。

自分ひとりでお風呂に入れる人はいない、1人ひとり麻痺などの体の状態が違う、そしてスタッフを含む全員と初対面、そんな中で介護するのはけっこう大変でした。

 

やっぱり私はおじいちゃんおばあちゃんが好きだと気づいた

入浴介助は久しぶりで始めは手際が悪かったけど、何人かするうちになんとなく看護師時代に学んだケアの仕方が蘇ってきました。

そして、「あ、コミュニケーションをとらなきゃ」というふうに自然に思えました。

利用者さんの背中をこすりながら、趣味や天気などの世間話をしているとき、

「あ、私やっぱりおじいちゃんおばあちゃん好きだわ!」と気づきました。

海外で遊んでいたときには忘れていた感覚。

看護学校の実習時代に初めて患者さんと話した時の思い出が蘇るようでした。

 

「ありがとう」の力は絶大

看護師などの医療職者がよく言う言葉、

「患者さんのありがとうという言葉が力になります」は本当だと身をもって感じました。

私は仕事だから当たり前と思って利用者さんの体を洗っていたけど、彼らは一つひとつの私の声かけに対し

「ありがとうね」「そんなに綺麗にしてもらってうれしい」

とおっしゃってくれました。

やはりそれは自分が頑張るための原動力になりました。

久しぶりに働いて腰が痛かったり、手がガサガサになったりしたけれど、

それがちょっぴり安らぐような気がしました。

 

久しぶりに「人生の先輩」と真剣に話した気がします

私が海外生活をしていた頃に近くにいた人はほぼ同世代でした。

どちらかというと同い年より年下が多い(とくにセブにいたとき)のもあり、いつしか私のポジションはお姉さん。

意識高い系の年下の友人から学ぶことは多かったけど、なかなか自分より大幅に年上の方と真剣に話す機会はなかった気がします。

 

一方、今日は先輩医療者さんと一緒に働きました。

私に新しい考えを吹き込んでくれたのは、同じ派遣会社から看護師として仕事に来ていた2人の先輩看護師さんでした。(おそらく50歳前後)

私より長い人生を歩んでいる先輩からの言葉は、実に説得力がありました。

 

「今やっていることは必ず今後の力になるんだよ」

私の看護学校時代の同期で一度もブランクを空けずに働いている人は、看護師9年目だと思います。

対する私の看護経験はたった4年半。半分です。

ブランクが気になっていたし、自分より年下がどんどん増えていく現実に焦りを感じることもありました。

でも、今日会った先輩ナースAさんは、

「ブランクは私たちもあるの。

今、あなたは派遣で看護師をやろうとしているところだけど、それは素晴らしいことだよ。

今一度でも見ておけば、何年後かに同じ処置をするってなったときに『それ、一回見たことあります』って言えるでしょ。

一回でも、『見たことある』っていうのは『知らない』ことよりもずいぶんいいよね。

今やっていることは、絶対今後の自分への力になるから。

だから、今のうちにいっぱい経験したほうがいい。

頑張ってね」と話してくださいました。

 

あとはこんな会話。

「あなたのブランクは何年?え?2年でしょ?

私たちなんて2ケタよ。(笑)」

私が2年間看護師をしていなかったことなんて、80年以上の人生で見たら一瞬だったことに改めて気づくと、たった2年のブランクなんてそこまで気にする必要ないんだって思えました。

 

「看護師に1番必要な技術ってやっぱりコミュニケションだよ」

これは、独身時代に大学病院の手術室で看護師をされていたという、Bさんの言葉です。

彼女は手術室看護師のときには、手術前の患者さんのところに行って説明をし、

今日働いている施設では、利用者さんとの会話を楽しみながら日常生活を援助していたようです。

どちらの場面でも1番大切なのは、相手を思いやる心を含めたコミュニケーションです。

ここがぶれていないことが、看護師としての必須条件だと感じました。

 

まとめ:看護の世界から学ぶことはまだまだ多そう

今日はデイサービスの入浴介助のお仕事をしましたが、今後は他の施設でも看護師としてお仕事をする予定です。

いろんな職場を見ることで、医療の対象者(患者さん、施設の利用者さん、健診を受ける方)や、そこで働いている医療職の方と話すことができると思います。

きっと、そこでも世界が広がるんだろうなー。

 

そして今日お年寄りを介護しながら感じたのは、「人は必ず年をとるんだ」ということです。

今私たちが普通にできている行為、歩く、座る、立つといったことは、年をとればできなくなるのかもしれない。

逆に、今それができなくなっている人も、若いときは今の私たちのように当たり前にできた時代があったはず。

そう思うと、高齢者に対して「あれもできない、これもできない」と言うのは未来の自分たちを否定しているように聞こえるような気がします。

目の前の人に優しく関われる自分でありたいと思いました。

 

よし、まだ30歳のうちにブログアップできたぞー!

1時間で2500字、できたー!!!

31歳も新たな気持ちでがんばります^^